Syoichi's Tumblr

Feb 01 2012

hkmurakami:

僕がツイッターやブログを始めてから約1年半が経ちました。今では多くの人が僕の言葉に触れている事になります。

しかし読んでくれる人が増えるということは、それだけ僕の言葉に含まれた意見や見識、情報などを「真実」として捉える人が増えていくと言う事です。ひょっとしたら1人が読んでいようが100万人が読んでいようが同じだけの責任があるのかもしれませんし、そもそも発言者に責任など無いのかもしれません。ですが、「公の人」になればなるほど、その人が背負う責任と言うのは増えていくものだと僕は感じています。

ならばものを書く側としては、自信と根拠を持って発信出来る意見や情報以外は、(それ相応の注釈などを置かない限り)書くべきではないと言う事にならないでしょうか。当てずっぽうな発言や、十分な情報や経験を持っていない対象についてさも専門家の様に話すのは、読み手に対して無責任だと思うのです。それなりの経験や知識を持たない場合、自分の見識や意見が正しいのか、的を得ているのかを確かめる術すらありません。

実際に僕が今まで書いてきたものの中にも、無責任極まりないものは幾つもあります。その一例として、僕が2010年にJALに関して書いた記事があります。僕はJALの搭乗口に10人もの人がいた事にコスト面での無駄を感じ、憤慨したのですが、はてなのコメント上にはこのような見識が寄せられました。

2010年4月に乗られたんですね。 新人研修で人が多かったんじゃないですか? 研修中って札着けた人が多くいる時もありますよ。 その一部で経営批判とはたいしたもんですね。

僕はこの記事を書いた当時、「新人研修中」であるという可能性を全く考えていませんでした。ブログを書くにつれ薄々感じていて、このコメントを頂いて確信したのは、自分が隅々まで理解している対象出ない場合、何をどうやっても話に穴が出来てしまうと言う事です。僕がアマチュアなりにも「専門家」だと言えるような題材で無い限り、ほぼありとあらゆる記事を書くのは無責任だと言う事です。

少なくとも日本の文化、日本の社会、そして日本の企業に関しては、僕はアウトサイダーです。アウトサイダーにしか見えない事は確かにあるかもしれません。しかし、部外者だということは、これらの内部の細かい事実や有り様については全くと言っていいほど分からないと言う事です。それが分からないと言う事は、何を思いついても、何を言っても、表面上でしか問題を捉えられませんし、自分の見識が果たして総合的に見て正しいのかも分かりません。何を言っても「知ったか」ですし、自分の言っている事が本当に的を得ているのかを確かめる術もありません。つまり、僕が日本のありとあらゆるテーマに関して言及するのは、無責任で場違いだということを、ようやく理解する事が出来ました。

なので、よほど特殊なケースで無い限り、僕が今後日本について言及することは無いでしょう。上記の通り、僕は日本に関して責任を持って発言するための知識が欠如しています。そもそもよく考えてみれば、自分自身を「アメリカ人」と呼び、日本にほんの1・2年しか住んだ事が無いような人間が、日本についてまともな見識を示せるはずが無いのです。

ネット上での言葉というのは、発言者は容易に「投げっぱなし」にすることが出来ますし、実際そのようにする人は多いでしょう。それは発言者の自由であるとも言えますし、最終的には読み手の一人一人がその是非を問わなければならないのかもしれません。

しかし僕個人の信念としては、多くの読者に触れるからには、発言者というのは自分の言葉に責任を持つべきだと思うのです。この信念が正しいのか、万人に当てはまるものなのかは分かりません。逆に、「たとえ完璧な論理でなくとも、穴があっても、言葉にすることに意義がある」というのも一理あります。どちらが正しいとは僕には言えません。しかし僕がこう感じるからには、最低でも僕自信は、自分が正しいと思う基準に沿って行動するべきだと思うのです。