“Tumblrのdashboardにはネガティブなものがあまり流れてこない、と、昔誰かが書いていた(出典見つけられず)。
それはネガティブなもののreblogability(reblogされやすさ、ひとに受容されreblogしてもらえる可能性)がポジティブなものよりも相対的に低い。たとえネガティブなものがどこかのdashboardに混じって、その隣のdashboardにreblogを通じてコピーされたとしても、その何倍ものポジティブなものがコピーされるために、割合的には各ユーザのdashboardという世代を重ねるごとに相対的にその数を減らしていく。結果として誰かが明示的にネガティブなものを削除(暴力的淘汰)をしなくても、平和的に淘汰される(平和的に淘汰されるだけだから全然流れてこないわけじゃない)。reblogのようになにかがコピーされて伝搬される現象は、新しいものではなく昔からある。マスメディアもブログも、どこかの企業が出したプレスリリースをコピーしたり書き換えたりして文章を作る。それを読んだ人たちがブログに書く。それを読んだ人がまた書いたりする。そうして人を介して広まるものがあることは昔からよく知られている。ただ、それらの伝統的プラットホームは、伝搬するときの時間コストが現代的Re-*プラットホームに比べて高いために平和的自然淘汰が進む前に人々の関心が次に移っていってしまった。現代的Re-*プラットホームでは伝統的プラットホームで10分かけてひとつの話を書く間に、その20倍くらいの話を伝搬させることができる。そのぶん短い時間で世代を重ねることができて、ネガティブなものはポジティブなものに比べてコピーされにくい、というわずかな差を体感できるようになったのだ。
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分量が自由であるために、露骨なDISにならずに済む等の理由もありそうには思える。
例えばTwitterで、ネガティブに書こうとすると、極端な言い切りにならざるを得ない。それを避けるために連投したとしても目立った断片だけが出回るだろう。tumblrの場合分量とかの自由度から、必要に応じて条件を増やせる。つまり限定的な批判で済む。自ずから、一投稿毎の分量が極端に小さな媒体で見掛けるような露骨ネガティブにはなりにくいような。
要因は複数なのだろうけれど、自分は意外にこれが大きいのではないかと感じてる。
(via aznyan-ultimate) (via kondot)