Syoichi's Tumblr

Mar 11 2010

メールにしろBlogにしろメッセンジャーにしろ、SNSにしろTwitterにしろ、いかにコミュニケーションコストを下げて容易に利用できるか、そして利用して多くの人に自分がかまってもらえるかというところが争点となってくる。
しかし、そのように面白いコミュニケーションツールというのは本当に優れたサービスだから面白いのだろうか。
コミュニケーションを実現するツールである限り「何を使っても実は楽しい」のかもしれない。だって本当に楽しいのはツールの向こうに仲間が居て人が居るというのが理由なのだから。
ここで逆を考えてみる。友人や知り合いを全く誘わないで、一人でそのサービスに飛び込んで黙々淡々と利用して本当に楽しいものだろうか。例えばメッセンジャーとかは知り合い同士でないと使えないからアウトだよね。BlogやTwitterとかは一人でも始められるけれども、そこで耳目を集めて地位を確立する(コミュニケートができるようになる)までかなりの力量と時間を要するのではないかと思う。本人の力量次第では誰の目にも触れることなくひっそり力尽きてしまうかもしれない。案外過酷な世界が待っているような気がする。
だから友人らを誘って、仲間内でくねくねしていると楽しいサービスというのは本質ではないんじゃないかと考えるのだ。
もしくは何らかの手段でサービス上で友達を作るととたんに楽しくなるパターンとか。MMORPGとかこの系統だね。

だから無友力が高くても使えるサービス、楽しいサービスというのが実は本物なのではないかと考えるわけだ。
全くの無名で友達が居なくて一人で始めても、アイディアと力量次第で皆の目を引き次第に知名度が上がっていく。そんな世界。
単なる個人サイト、WEBページなんかは完全にその世界なのだけれども、注目されるためのハードルが高くなりすぎてしまった。なので、もうちょっと埋もれた才能が目立ちやすくなるようなサービスが存在するとよい。

(中略)

本気で無友力を発揮しつつ利用できるサービスというのを考えると、実は一番有効なツールが「匿名性」であることに気がつく。匿名性の高いサービスは、知り合いが居なくても(ひょっとしたら居たとしても)関係なく疑似コミュニティを構成することができるのだ。
個人として評価される事は少なくなるけれども、発言の影響度は通常のそれを持ちつつ耳目を集めずともコミュニティーに参加することができる。
コミュニケーションコストを下げすぎて実力が隠蔽されネームバリュー以外誰もが同じ立場しか持ち得ないダダ甘コミュニケーションと違い、匿名性サービスにおける参加のしやすさというのは実力差をある程度残したままでのコミュニケーションとなり独特の地位を持つことができる。なので、匿名掲示版で「コンテンツ提供神」なる人物が存在しうる。
そう考えると「友達同士が面白い」という甘えが無い分、匿名利用できるサービスというのは難しく、かつそれが持つ面白さは本物なのではないだろうか。

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